スペック株式会社 取締役技術担当 矢崎 皓一
一般にオイル・コンデンサーと呼ばれる高耐圧のチューブラータイプの信号用コンデンサーは、真空管アンプの全盛時代には、そのカップリング回路の主要パーツでした。例えば1958年に発売され、今でも名機と称されるプリアンプMarantz #7にはその信号回路にSprague 社のBumble Bee が数多く採用され、Marantz #7の伝説的とも言える優れた音楽性はこのコンデンサーによるところも大であったと言われています。また当時の競合機種であるMacintosh C22には同じくSprague 社のBumble Bee やその後継のBlack Beautyが採用され、キットでも著名であったDynaco社のアンプには、CDE(コーネルダブラ―社)のBlack Catが使われ、往時の米国製アンプはまさにオイルコンによる高音質を誇っていたと言えます。
これらのオイルコンは誘電体には主にペーパーとマイラーフィルム(ポリエステルフィルム)が使用され、電極も含めて硬い熱硬化性樹脂でモールドされた頑強な構造によるもので、この構造故に誘電体箔の振動がダンプされ、民生用としては最良の高音質コンデンサーとされました。Sprague社やCDE社以外にもGOOD ALL(後のTRW)がこのタイプのコンデンサーを生産していたのですが、現代も含め米国以外にはこうした中域の充実したリッチな音色で音楽性に富む信号用コンデンサーは存在しなかったのです。
一方、米国には同時期に軍需用、航空宇宙産業として、更に高信頼性を誇る、MILスペックの別名ハーメチック・シール(気密構造)とも呼ばれるオイル・コンデンサーが存在していました。Sprague社のVitamin-Qは今に至るまでこのタイプのオイルコンの代名詞ですし、その他当時はCDE, GUDEMAN, AEROVOX, SANGAMO, West Cap, DEARBORN社などがこれらの軍事用途のコンデンサーを生産し供給していたのです。これらのコンデンサーは真鍮の錫メッキ管に両端をガラスによって内部の誘電体と電極そして絶縁用のオイルを封印した構造を有し、そうであるがゆえに最高度の耐環境信頼性を誇っていたのですが、オーディオ用としてはあまりに高価で一部の業務用アンプに採用例はあるものの民生用途で使用された例は皆無ではなかったかと思われます。ただしこれらのコンデンサーをオーディオ用として使用した場合、粘性のあるオイルが誘電体箔の振動を絶妙にダンプするためか、中低域の厚い品位のある独特の滑らかな音質が我が国のアマチュアの真空管アンプファンに長く支持されてきたのです。
しかしながら半世紀の時の経過の中で、モールド型あるいはこのハーメチック型問わず、これらの真空管アンプ全盛時代の高耐圧・高品質のオイルコンは、真空管から半導体への流れの中で淘汰され、また比較的安価なフィルムコン、すなわちマイラーコンデンサーやPPコン(メタライズド・ポリプロピレン)の信頼性が改良される中で市場性も失い、現在では当時のこうしたコンデンサーを入手したくても往時のNOS(NEW OLD STOCKパーツ)品しか入手の途は無いものと思われ、良質なカップリングコンデンサーを求める自作ファンにとっては部品選定の悩みの一つとなっていたのです。
さて、スペック株式会社は昨年9月に最新のスイッチング・デバイスをフィーチャーしたDクラスアンプRSA-F1を、また11月には同じくRSA-V1を発売し、既に各方面より高いご評価を頂いておりますが、これらのアンプの開発に際し、Dクラスアンプに必要不可欠な、最終段のローパスフィルターにどのようなコンデンサーを採用するか、あるいはどのようなコンデンサーが入手出来るかは極めて大きな課題でした。何故なら一組のLC(コイルとコンデンサー)によって構成されるこの最終段のフィルターに使用されるパーツほどアンプの音質その物を左右する物は無かったからです。
NOS品また現行品として入手可能な国内外のコンデンサーをあまねく収集し、集中して比較試聴を行いました。各々のコンデンサーで驚くほどの音質差があることが判りましたが、結果的に我々が望む自然でヴィヴィッドな音質、リアルで立体的な音場を再現できるコンデンサーは唯一つハーメチック・シールのオイルコン、1967年製のWest Cap、耐圧600VDCが存在するのみでありました。まさに最上のヴィンテージ物であり、現行品でこれに勝るコンデンサーは無かったのです。これを契機に様々な年代、容量、耐圧のWest Capを聴き込みましたが、音質上の共通項として中高域の艶やかさと抜けの良さがあること、特にこの耐圧600VDCのものは誘電体の箔厚が厚いことによるものか、一般的にオイルコンに共通する中低域の厚みも十二分に有り、また自然素材に近い材質が主体のためか、昨今のPPコンにはない音色の自然さ、不思議な心地よさも大きな魅力でした。
そして様々な経緯の中で、そのWest Capの技術資産と生産設備をそのまま引き継ぎ、未だに航空宇宙産業や業務用にMILスペックのハーメチック・シールのオイルコンやフィルムコン更に様々なフィルターをカスタムメイドで生産をしているArizona Capacitors,Inc.に出会うことが出来たのは昨年1月早々、スペック株式会社の創業間もない頃でした。その後RSA-F1には全面的に、またRSF-V1には電源部にArizona Capacitors,Inc.のカスタムのオイルコンが搭載されることになりました。また2011年初のラスベガスにおけるCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)には、同社のスイートで、RSA-F1をフィーチャーしてデモさせて頂くなどArizona Capacitors,Inc.とのビジネスの連携を深めてきました。
こうした両社の関係の中で、当社がアンプ開発の中でベストと評価するに至ったオイル・コンデンサーを、当社のオーダーで復刻、発売することができたのは大変幸運なことでした。当時の図面、生産設備をそのまま保有する同社だからこそ可能なことだったのです。
このType“C50309”は日本における同社の優れたオイルコンのプレゼンスを高めることにつながるだけでなく、“本物”の信号用コンデンサーの浸透力のある卓越した音楽性は、高度な趣味性を求める日本のオーディオファン、音楽ファンの皆さまにも必ずや受け入れていただけるものと確信しております。